この協会について

すべての人が暮らしやすい社会を

私たちは、手話を使って暮らしている聴覚障害者の団体です。1947(昭和 22)年に創られました。社会の中で、日本語と同様に手話でコミュニケーションができ、必要な情報にアクセスできるようにと取り組んできました。その結果、手話通訳者は、日本語と手話間の情報・コミュニケーション保障を担い、手話で暮らしている人たちと周囲の人たちの円滑な人間関係や暮らしを支える職業となりました。手話通訳者派遣事業は、手話を知らない聞こえる人たちにも必要な事業なのです。
手話講習会は、社会に手話や聴覚障害の理解を広げ、「手話通訳」という職業も聞こえる人の選択肢として広がっています。私たちの取り組みが、多様な人々が社会にいること、日本語と違う言語があること、それを支える仕組みが作られてきていることを知ってほしいのです。
この備えが、誰もが安心して暮らせる憂いのない社会へと近づく歩みとなることを私たちは願っています。

全国の仲間と共に

かつて聴覚障害者はつんぼ、おしと蔑視され、「聞こえないからダメ」「聞こえないからできない」「聞こえないから危ない」と排除されてきました。私たちの言語、手話は日本の社会においては「猿まね」とさげすまされてきました。こうしたことが背景にあって、資格取得の制限や職業選択の自由が狭められてしまうことになりました。このことは、聞こえていた人も聞こえなくなると「ダメ、できない、危ない」と排除されてしまうことを意味します。
こうしたおかしなことをなくしていくために、全国の仲間達、そして手話を学ぶ過程で、聴覚障害者を取り巻く問題を自分の問題と理解した聞こえる人たちと、共に手を取り合ってきたのです。

手話は言語

聞こえる人が日本語を使って生活しているように、手話を使って生活している聴覚障害者もいるのです。戦後、新たに始まった私たちの取り組みは、手話を国際的には『障害者権利条約』に、国内的には『障害者基本法』に「言語」であると明記される社会へと変えてきたのです。

運動と事業の両立

「ゆりかごから墓場まで」手話を使う聴覚障害者が安心して生活できるような仕組みを札幌市内に作っていくことが、私たちの社会的役割だと思います。そして、私たち自身が、事業を創り、担い、運営していくことは、社会参加の意味を具体的に示すことにつながるでしょう。

札幌聴覚障害者協会のあゆみはこちらをご覧ください。